適当に着てもオシャレになる人とならない人

意識せずともオシャレな服装になる人がいる。

顔が良いとかスタイルが良いからとか、そういうのではなく「クローゼットから適当に選んだだけだよ」と言いながら、色やサイズや着こなしが上手にできている人。

中学時代に仲の良かった女の子がそういう子だった。

大学生のある日、原宿でファッションスナップに遭ったという。

いきなり写真を撮られて「すみません。non-noなんですが、写真撮らせてもらえませんか?」と声を掛けられて「え、イヤです」と断った。

「それじゃ、このまま(さっき撮った適当な写真を)掲載させてもらいますね」

「困ります」

「それじゃ、ちゃんと撮影させてください」と半ば脅迫され、いやいやながら応じた。

「これ、雑誌に乗るんですか?」と訊くと

「沢山撮った中から選ぶので、それはわかりません」と言われて、少し安心したものの、結局は半ページ使った大きな扱いで掲載された。

「載ってたの見たよ」と連絡すると

「本当に迷惑。あれ、友達の家での飲み会帰りだったの。着ていた服のブランドのアンケートには全部知りませんて書いたのに、(編集部が)調べて書いてあるし、友達みんなに『これ、あんたが一番手抜きしてるときの恰好じゃんwww』て突っ込まれるし」と、本当に嫌がっていた。

その時の恰好は、アウトドアブランドのフリースを着ての、パンツスタイルであったと記憶している。確かにその辺をウロウロするだけの恰好に見えた。それでも、とってもオシャレに見えた。

例えばピアノの前に座らせて「適当に何か弾いてみて」と言われた素人が、聴き心地の良い音楽を奏でられるか?と言えば、それは無理な話だ。音階すらもめちゃくちゃになりかねない。

弾いてみれば、それが心地よいものかどうかは彼らでも判別できる。そして聴くに耐える音楽を弾こうとすると、何度も確認しながら「うん、これならいいかな」と時間を掛けて音を探し出す必要があるだろう。

ところが慣れた人ならば、即興でも心地よい音楽を弾くことができる。どこを弾いたら音が外れないか、そしてどう流れるのが自然かとの感覚が体得されている。

外れたら、そこがピンポイントでわかって修正ができる。

(達人による完全即興演奏の極み Keith Jarrett – THE KÖLN CONCERT

 

ファッションコーディネートもそういうものだと思うのだ。

着る前から無意識でもまとまっている人、何度も試してみないとわからない人。

これはスキルである。

ちなみに私は後者である。適当に着たら、無茶苦茶なメロディになるやつだ。


Comments

“適当に着てもオシャレになる人とならない人” への7件のフィードバック

  1. はじめまして。また記事を拝読できるのがとても嬉しいです。2006年頃によく読ませて頂いていました。当時中学生だったのですが、かなり感性を刺激されたことを今でも覚えています。ちなみに私も後者の人間なので、いつも色やシルエットやらグダグダ考えています(笑)

  2. Rayさん
    コメントありがとうございます。
    ブログが復旧したので、ひっそり書いてみました。言いたいことは言い尽くした気になっていましたが、ふとテーマが思い浮かんで。
    しかし12年前中学生の頃ですか!20代半ば過ぎ、社会人になって私服を着る機会が減って、服への興味はどうでしょうかね。

  3. ご返信ありがとうございます。相変わらず服への関心は高いですが、関心の対象は常に変わっていて、今は以前に比べて先端への興味は薄れ、色も形もベーシックに傾斜しています。仰る通り私服を着る機会が大幅に減ったのが大きいですが、それでもやっぱり、自分のしたい装いができるのは幸せですね。

  4. また帰ってきてほしい...

  5. 10年ぶりに来ました
    お元気ですか
    またUGさんの書いた記事が読みたいです

  6. コメントありがとうございます。
    彼女も今や2児の母だそうです。もう15年くらい会ってないや。

  7. コメントありがとうございます。
    ファッションについて考えるのとは圧倒的に減りましたが、あったとしてもTwitter(X)で小出しにしていくとブログ記事にするまでもないなってなってしまうんですよね。

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