道を通りながら、前を通過した飲食店から美味しそうな雰囲気を感じることがある。
気になるので検索して調べると、良店であろうことがかなりの割合となってきた。
その、店から感じる美味しそうな雰囲気を、端的に「オーラ」と表現しているのだが、先日「店のオーラってなんですか?」と質問された。

ラーメン王石神秀幸氏はラーメン屋を見て美味しいかどうかわかるようになっているという。
ある食べ歩き人は「美味しい店の前に来るとメガネが曇る」という表現を使う。
尊敬する中学からの友人も、店の前や店に入った段階で「この店、やるな」とか「いいにおい(ムード)があるね」という。

積み重ねてきた経験と観察眼によって、美味しい店を察知できるようになっているのであるが、それらは複雑で複合的なものであって、明文化できるものではない。
挙げていくならば、単純に漂ってくる匂いだったり、店構えへの配慮だったり、客が美味しく食べている雰囲気だったり。

ファッションで言えば、パッと見て服の仕立ての良さを感じられるかどうか、みたいなところがある。
わからない人にはまるでわからないものだ。

・ある計算の答を知りたいとき、電算機を用いれば、すぐに答が出る。
美味しい店を知りたい、良い服を知りたいとき、検索すれば答が出る。
食べログで上位である、名品とされる服がある。
体験してみて、それが悪いものではないことはわかるだろう。
(ところがそれが本当に良い物であるかは別だ)

・ある計算をするとき、定理を用いることがある。
美味しい店なら、どの系列で調べればそれが美味しさが担保されるか、のようなものだ。
どのショップやブランドで買えば、良い服が買えるか、のようなものだ。

・ある計算をするとき、その定理の成り立ち(証明法)まで理解して用いていて、答を出せる。
それが、美味しい店を自分で見出だせるということではないか。
並んでいる服の中から、良いものを見出だせるということではないか。

数学をきちんと理解している人は、途中の計算が間違っていると「なんかおかしい」というセンサーが働く。
計算が正答に向かっているかの感覚もわかる。
そういう能力が目利きだとか、そういう能力に近い。

インターネット情報が豊かになり、単純に答が知りたいという人、当たりだけを引きたい人にとって、それが可能な時代になった。
しかし、自分で手計算できてないままでは”正解”の相対的あるいは絶対的価値はわからないし、目の前に答が転がっていてもわからず、逆輸入のように常に後追いするしかなくなるということなのだ。

世の中でブランド(有名)化したものは高くなる。それはブランド料つまり保証金が上乗せされるからである。
店だって儲けたい。買ってくれるだけ値段は上げたい。
良いものを安く買うためには、ブランド化する前に自分で見付けることだ。値頃感を察知することだ。

そして目利きができると相手に理解されれば、侮られず滅多なものを出さなくなるし「実はこういうものがありましてね」という世界が拓かれてくるのである。
ものすごく単純にいえば、玄人は話のわからない人間と、話をしようとは思わない。話のわかる人間とは語らいたい。そういうことだ。

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