以前、服を選ぶ際にもっとも重要なのがシルエットであろうと書いた。
(→オシャレ要素とテクニック)
さて、ここでシンプルに美しい洋服を語るときに、避けて通れないのが「シルエットがキレイ」という殺し文句である。
この言葉は洋服を選ぶ際に頻出し、客側には多くの場合で購入決定打となりうるが、店側にすればとても安易な販売促進フレーズともなる。
だが、この「シルエットがキレイ」という言葉を考えてみよう。
どのメーカーであれ、専門のパターンナーがいて、対象となるボディに対し、プロが見てOKを出したシルエットの服を作っているのだから、ある意味、全てが「シルエットのキレイな服」と呼びうる。
それでも、我々には「この服はシルエットがキレイだ」とか「キレイではない」かの感想が別れて生まれる。
「シルエットがキレイ」というのは、着用した服が適度なゆとりの身体包囲性を持っており、また、身体形状の補正性を持っており、尚且つその服を見る人の美的感覚に大きく依存する。
(身体のカタチを逸脱した場合は、シルエットというより、フォルムという表現になる)
ではどうして、我々がショップに行って店員と「シルエットがキレイ」の同意が生まれるか?
それは同じトレンドを共有しているからに他ならない。
現在はTightあるいはLong and Lean(細長い)なスタイルがトレンドであるから、そのような服をキレイなシルエットだと思うが、80年代はパッドで肩が張っていてオーバーサイズのものが、そう思われていた。
つまり、今のトレンドに準じた服を作っているブランドの服は、そのトレンドを求めて買いに行く客にとって、全てが「基本的にシルエットのキレイな服」であるのだ。
あとは着る人の体型のよって、それがどう表現されているかである。
店員は理想的なボディに着せた時の服のシルエットを知っているし、それがいいと思っている。
であるから、安易に発する「シルエットがキレイですよ」という言葉は検討する必要がある。
自分(客)の体に合っていると思って言っているのか?
理想的なボディに着せた時のシルエットがキレイだからそう言っているのか?
そもそも、この店員は自分と同じ美的感覚なのか?(これで若い頃の私は裾上げに失敗したことがある)
シルエットがキレイというのは「この曲、いいよね」というように十人十色であるものだ。
買い物の際に必要なのは自分とその店員の”キレイ感覚”の擦り合わせである。
店員が店員の感覚で、こちらに寄り付かず言っていたのなら、それは褒めているようで、褒めていない。
もちろんセンスを店員に委ねるのであれば、それは受け取っても構わない。
だが、自分の求めるシルエットというのがある人であれば、その「シルエットがキレイです」という店員を値踏みすることができるのではないだろうか。
シルエットがキレイというのは、言われると魅力的な響きを持つが、本来それは自分で決めるべきものだと思う。
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ベルンハルト・ウィルヘルムがメンズをやめるらしいですね。
もう買えるのもあとわずかでしょうか。
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寒いときはウールニットを着たりしますが、今年は暖冬で、Tシャツに上着で出かけることが多いです。
そんなとき、インナーはほぼ毎回ここのDEGREE STUFFINGロンTです。
極厚生地と、ジャストな着心地。
もう2年半着続けているものもありますが、全然クタりません。
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