作品への敬意

デザイナーに心酔する余り「クリエーションに敬意を払う」として、作品に手を加えることを”冒涜”だと思っている人がいる。

「自分に合わないのでお直しが必要だが、そうするとデザイナーの意図するシルエットとは異なってしまう」

もちろんそう考えるのは勝手なのだけれど、私はそう思わない。
デザイナーの描いた理想のシルエットを、自分の身体で反映させられない以上、自分で美しいと思う形に変えるのは真っ当なことではないか。
(そしてコレクションではモデルに合わせてサイズを補正しているし、撮影ではピンを打ってシルエット補正しているのは日常茶飯事)

自分が創作者だとしたら、自分の思うとおりに使用してもらいたいとは思わない。
自分が作った曲を「どんな人に、どういうシチュエーションで聞いて欲しいか?」そう聞かれたら、一応望ましい回答はするだろう。
しかしそれは「そうして欲しい」ものではない。
自分で書いた絵は誰が買って、どこに飾ろうと構わない。
自分の作品を愛してくれれば、それで結構なのではないか。

ましてや服は実用品である。
自分の都合に合わせて着るものである。

デザイナーの理想とするファッションはコレクションで発表し、それで一つの作品である。
デザイナーの意図を汲むというのなら、デザイン画は一つのコーディネートで描かれる。
その通りのコーディネートでなければ、デザイナーの理想ではなくなる。
コーディネートを崩す時点で意図を外れるし、何しろ、自分が着るということ自体が、彼の意図に沿っていないかもしれないではないか。

商品を買った時点でオレのもん。
私のために作られたものでない以上、私はそれを私の着たいように着る。

デザイナーの感性から生まれた作品を、自分の感性で解釈して着る。
その方がずっとステキじゃないか。

自分の着たいように着ようと思った人はクリック→


Comments

“作品への敬意” への3件のフィードバック

  1. 自分が作り手だったら好きに着てほしいという気持ちはよくわかります。
    でも一方で、作り手の意図を知りたいという気持ちもわかるのです。誰だって、好きになったらその対象についてもっと知りたくなると思いますし。

    作品を愛して、自分なりに着こなすことが作り手へのメッセージになると思いますが、悲しいかなそのメッセージが作り手に届いているかどうかを知るすべは殆どないんですよね・・・。

    最良は、作り手と使用者が実際対話できる環境ですよね。そこからさらに新しいものが生まれそうな気がします。

  2. >k・k
    作り手の意図は、私も知りたいと思います。
    何しろそういう事に興味を持って、服の勉強を始めたわけですから。

    メッセージが届いているかの確認は、以前よりずっとしやすくなっていると思います。
    それはブログなどで使用者個人が情報発信をする時代になったから。

  3. こんばんはー♪

    再開なさったんですね!!!
    お正月いらい、まったく更新されないので・・・
    転職なさって、ブログやめちゃったのかなー・・・て残念がってました・・・
    良かったです^^

    本当に自分の感性で着こなすのが本来の服だと・・・私も思う!

    しかし、頑固?なデザイナーっていますよー・・・
    こんな風にきるべきとか!
    この芸能人ならいいけどとか!

    時々・・・言い過ぎじゃないの~って思います(><)

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