ブランドには強力な魔力がある。
日本でファッションに興味を持つという事は、ブランドに興味を持つことに近いものがある。
雑誌によってオシャレ教育をされる日本においては、そのようなブランド信仰から始まるファッションが、はばを利かせてしまうのだ。
参考記事・学校制服の謎
「~(どこどこのブランド)の服」ということを気にしない、強い人がどれほどいるだろうか。
古着を着るという答えは、ある種ブランドという他人の評価基準を脱却できた人という魅力をも持つ。
(これがまた「古着を着ることがカッコいい」という、2段階の価値観を生み出しもするのだが)
ブランドタグへのアンチテーゼとして始めた、マルジェラの四方を糸でとめたタグが、そのタグをつけておく価値のあるものとして機能し、更には「ブランドを否定した」とマルジェラの創作者としての地位を高めるというのは、実に妙なものである。
(マルジェラのタグを止める糸を外から見て、切りたいと思う人は私だけでは無いはずだ)
タグには着用時の機能における意味はない。
(その意味でタグに機能を持たせたら、それはそれでデザイン価値を持つことだと思うが)
むしろ首に当たって痛いと感じたり、服自体を傷めるという有害なこともある。
事実、以下の写真のカットソーはInternational Gallery Beams(IGB)のオリジナル商品であるが、洗濯しているうちにタグをとめている隅が攣って、生地に穴が開いてしまった。
とても気に入っていたので3色も買ったのだが、よく着るライトグレー(写真の商品)の穴に気付いてタグを取ったときには、他の2色も若干のホツレが出てきてしまっていたところだった。
もちろんカットソーであったことや、高番手のデリケートな素材であったこともあるだろうが、こうなってしまうと、タグにはブランド誇示の意味しか残らなかったのである。
それ以降、生地を傷めそうなタグの場合は外すようにしている。
しかし全ての服からタグを取るほど達観はできなかった。
ユニクロのタグは躊躇なく取れるのに、ハイファッションブランドのタグを取るには躊躇する。
これは私自身がブランドバリューという誘惑にひっかかっている証拠である。
外す必要は無い、外す作業において生地を傷める恐れがあるなどの意見もあるだろうが、さて、あなたは手持ちの服からタグを外して着られるだろうか?
おまけ:先日久々に都内でじっくり服を見てきました。
いいですね。ここに書きたいような商品がいっぱいありました。
都内にいたらブログネタに困らなそうだ。
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