高校の生徒手帳を引っ張り出して服装規定を見てみた。(埼玉県立高校)
通学靴:黒の革靴とする。自転車通学者は運動靴を使用できる。
靴下:白、黒、紺、灰色等地味な淡色のソックスとする。
通学鞄:黒か紺の学生かばん、又は華美でないスポーツバッグとする。
コート:黒又は紺等の地味な色合いのコートとする。
セーター、カーディガン:着用する場合は校服の下とし、黒、紺又は白系統の地味な色合いで、Vネックのものとする。
マフラー:着用する場合は地味な色合いのものとする。
~~~~~~中略~~~~~~
付記:上記のほか、服装等はすべてにわたって地味なものとする。
全項にわたって出てくる地味のフレーズが滑稽極まりない。
そしてその理由が
「高校生としての自覚のもとに、一人ひとりが目標をもって学業に専念し、明るく生き生きと秩序ある学校生活を送るため、次の服装等規定を定める」
のだそうだ。
学業に専念するためならば、社会人としての服装マナーはどうでも良いのだろうか?
こういう事だから社会人になってスーツに白靴下という殺人技を炸裂させてしまう輩が後を絶たないわけだ。
ジェントルマン白州次郎が再考される現代において、学校教育は内面のみの研鑽だけで、それに由来する服装表現はいけないのか?
思えば授業で服装マナーは学ばない。
もし服装マナーが家庭での躾の範疇に入るのであれば、それを校則で規定するのはおかしな話だ。
今の個性尊重(皮肉)の世論の中でも、この10年前の校則は生き続けているのだろう。
いつまで学校教育は、装うという文化を無視しつづけられるのだろう?
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