究極の?

“究極の逸品”というのがあちこちにありふれていますが、視点・方向性によっていくつもの究極があることを認識しておくのが重要だと思っています。

ランドクルーザーとフェラーリとリムジンはそれぞれ究極の車ですが、同列で語れるでしょうか?
走破性、速度、居住性と3つの判断基準でみてますよね。

先日究極の醤油というのがTVで放映されてましたけど、用途によって醤油の向き不向きがあって、例えば刺身につかうのと煮物に使うのじゃ違ってくる。

究極のスーツだってブリティッシュスーツは重厚だし、イタリアンは軽妙なデザインなんだから、一絡げにして良いスーツの評価は出来ません。


山本耀司は着心地の良い服について「純粋に着やすさを追求したらジャージになる、でも着た時の心持ちを含めての着心地でしょう?僕はそれを追及したい」と語ります。
そこでも着心地とは画一的な基準ではないことがわかりますね。
「(機能的に)着心地が悪くたって、美しく見せる服を作りたい」と述べるデザイナーもいます。
実はヴィヴィアンウエストウッドなんですけど、彼女の場合そう言いながら、着心地も追求していますが。

フットウェアにしてみれば、ヒールのある靴なんて無い靴に比べたら履きにくいに決まってます。
いくらマノロブラニクだってニューバランスの履きやすさにかないますか?

究極の…とはある意味使われやすい売り文句ですから、注意しましょう。→


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