今日は少し早めの帰宅だし、書くことがいっぱいある上に、昨日の自分の徒然日記の反響が大きかったのでicon_rolleyes、2つ記事を載せるかもしれない。

さて、一応もう一回、整理しておきたい(昔の記事と重複してと思うけど‥失礼)。彼と私は留学前8ヶ月ほど付き合ってから遠距離恋愛になった。パリにいる期間が2年半経ったので、付き合って3年とちょっとになる。

パリに来る前から、留学より結婚がしたかった(結婚がまだ先のことなら、今までやれなかった留学を最後にしようという感じ)。でも半年付き合っただけで‥ということもあり、他にも色々ありで留学をすることになった。こんな短い交際期間で、結婚したいと思うにはやっぱり訳があるわけで、私たちはその時点(留学前)ですでに10年来の知り合いだったのだ。

もちろん頻繁に会う仲ではなかったし、音信不通の時期も長い。でも私的には、知り合った頃から彼が気に入っていた。だから惚れてるのは私だろう。

だから、もし彼が留学を本気で止めたら行かなかったと思う。ただ、本気の度合いが、それこそ結婚とするいう確固としたものなら、あるいは逆に留学するなら別れてから行けというものでなければ‥。彼と別れ話でパリで会った最後の日、私が言った言葉も『別れるか留学しないかだったら、留学をしなかったよ』だったくらい。本当は側に居たかった(でも当時彼にダメ彼女扱いされていたから、側に居られなかったfrown)。

彼は確かに中途半端に私を送り出したし、私も中途半端で出発した。予定よりも早い出発で、1年では目的が果たせないから2年にするとか‥。同時に彼に転勤も決まったし‥。だから彼も待てると思った2年間があったのも確かだし、でも2年経つころちょっとお互いの気持ちとか調子がおかしくなってきたというのも現実だったと思う。

2年間色々あったけど、なんとかなっていた。私は泣き虫だし、皆が思っているほど凄くも無い。だから留学はかなり辛かったけど、中途半端に逃げ帰ったら、彼に嫌われると思っていた。

けど、今年の初め(3月から4月)彼の仕事で転勤、さらに忙しくなり時差もある私の電話を聞く元気もなくなった、その一方で、彼はいつもどおり友達とは遊べて気分転換も可能、私の女友達とサークルで毎週会うようにもなった。卒業製作を控えたり真っ最中のストレスだらけの私は彼にとってウザったかったらしい。

彼も、無理だったら早く戻っておいでという言葉から、一人で頑張れなければ留学なんてしなければ良かったんだという言葉に変わった。

で、そのころ友達と風俗(といっても‥多分あんな鞄を買うなんてと周りの男友達に言われるくらい男の人にとってたいしたことないらしい、私はどっちにしても理解できないし、これはちょっとキモイ)に行ったり、私の女友達が、彼の車に興味を持って誘い出したりとか始めて、現実逃避で自分も彼女を良い遊び相手として誘い、きっとそういう気分転換に走ったんだと思う。私の父が別れないように説得にあたったけど、それも無駄だった(かえってプレッシャーだったのかもしれない)。

そして、その当時、その友達は彼を好きになるかもしれないとか言い出すし(結局今は恋愛感情を否定している)、彼に誘われたとかイチイチ私に伺いをたてた。聞きたくも無い情報が筒抜けの状態。海外に居て何も出来ない現実と、日々の卒業制作の追い込み。彼に電話をかけても電源を切られ、彼女と真っ向から話し合おうと電話をかけても無視(彼女は掛かってないといったけど、嘘だと思う)。

はっきり言って、気がおかしくなりそうだった。いや、ミシン踏みながら泣いていたし、デッサンとかは出来ず、単調作業に逃げることしか出来ず(それでも泣きながら)だったから、気がおかしかったと思う。親はきっと私が変なこと(多分最悪、自殺とか)しないかと、凄く心配していたと思う。

私は今でも、二人がほぼ同じ時期(一部時間もかぶる)にそうやって電話を無視したことを、思い出すだけで苦しくなる。彼と復縁するとき(これは彼からの復縁)、彼女とは絶対何もないから復縁したいといえるんだと誓ったけど、私はこの時二人は一緒に居たんだと、今でも思っている。警察にアリバイを挙げてもらっても信じるか分からない。二人にしてみたら、単なる電話を無視しただけだけど、よってたかってされた方はトラウマになっても仕方ないだろう。

だから、昨日の日記に書いたように、この女友達が何時までも私と友達で平気でいられるのが、実は分からないのだ。彼と何もないから堂々としているとも取れるけど‥ね。たぶん真っ向から話そうとしたら、きっと彼女はまた逃げるだろうし、彼も似たような性格で、真っ向から指摘されるのが苦手だし‥。

とにかく夏休み帰国した際、復縁したけど、彼やその友達と会っても実は気持ちが落ち込んだり、色々我慢していることがあるのは事実。彼を失うのが怖くて、どんどん弱くなっているのは確かだろう。(と言う割には、きっちり清算させてると思ってるだろうけど、ロエベとか。爆)

そして、今の私は彼からのメールの返事が返ってこないだけで、凄く不安になる。真っ直ぐに何か言ってしまうと後悔する。そして、今の私たちに電話の交流が無いのが唯一の救いにもなっている(お互い携帯しかないせい)。私は彼に電話をかけるのが怖いのだ。たぶん、これから先、着信拒否されたこの感覚は消えないと思う。受話器で長々となる着信音にはきっと耐えられないと思う。

たぶん、日本に帰っても彼に電話は殆どしないと思う(夏休み中もほとんどしなかった)。同様に、その女友達も殆ど電話番号が必要ない。夏休み帰ったとき、メアドしか知らなくて(海外からかけたときかからなかったと聞いて番号を破棄した)、彼氏の携帯から彼女に電話をかけたくらいだ。

だから、復縁のとき(とくに風俗の件に関して)、高額な鞄を買ってもらって許すと決めたときも、ギリギリまで悩み、待ち合わせた銀座のエルメス前のロッテリアで、泣いた。

それでも鞄で(風俗は)許すと決め、そんなにしてまで彼を好きな自分に呆れた。私が今苦しいのは、彼がどうであれ(風俗の件は許している)、結婚に彼以外の問題があるのが辛いのだ。それによって、結婚か就職かが変わってしまうから。

就職については、最終的な目標があるから、私はパリにはこだわっていない。もちろん、パリで就職したり成功することは恵まれていることは分かっている。可能性があるだけでも、自分は恵まれているとも思う。

勘違いして欲しくないのは、今の研修先も、長期に続ければ就職の可能性があるだけで(スタージュが見習い研修であるという慣習上)、これは面接の際、相手が『2ヶ月6ヶ月と続ければその先もあるだろうし』とほのめかしてくれただけのこと。私は始めの面接できちんと、『日本に帰って就職するつもりであること(このころ生地屋さんの話もあったし)、この研修は自分の経験のため、卒業後も自分から残ってしたいと思ったから希望したこと』と伝えてある。

さて、結婚は‥たぶん自分ひとりで何ともならないから、タイミングやコンディションが大事だと思う。自分のことなら、後は自分の責任で何とかなるだろうから。今、優先するべきことはもう殆ど自分の中で決まっている。問題はコンディションなのだ。

そうだな、まず彼も女友達も、お互い連絡を取る必要が無くなってくれればそれでいいと思う。メアドも電話を必要ない関係。サークルで会ったり、皆で楽しむのは私も好きだから。昨日も書いたとおり、私が紹介したのは彼氏ではなくサークルだし。

心の傷は、体の傷と違って残るとか見えるわけじゃない。でも見えない分、深くても分からないし、治るかどうかも分からない。そして私は、気付かないフリや何も無かったフリが結構上手いらしい(あっ、彼は否定すると思う‥長年の知り合いってヤツだから)。

彼は甘かった?弱かった?‥でも、違うかもとも思う。私は毎日、日本に居るときとは比べ物にならないほど、きっと一杯一杯の状態だったから、2年がアッと言う間だっただけなんじゃないかな。日本で毎日堅実に(?)待っていた彼の方が、案外辛かったんじゃないかな?とも思う。惚れてるからかばってると思われても仕方ないけど。

さて、これで研修とか日々の話しに戻ろうと思う。

Posted on: 2005年10月17日
Categories: ファッション
One Response to 徒然日記・パート2
  1. こんにちは初めまして
    一気にブログ読みました。こういうカキコというのは、まずしないのですが、ファケットに限って最近書いてます。パリのさぼてんさん読んでて他人事とは思えなくなりました。

    「男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる」
    これは愛した相手に対する思いで昔も今もそう変わりはないようです。

    同年代の恋愛は難しいですね。精神年齢がどちらが上かはいわずもがなですが…

    結婚とてハッピーエバーアフターではないですし

    異国でもまれて、これだけ頑張ってる状況はなかなか日本にいるとピンとこないものです。自分も日本に想いを残してきた分頑張れるのと、やる気抜ける矛盾は昔経験したものです。

    ガブリエル・シャネルの話わかる気がします。ギャルソンヌスタイルを作りあげたシャネルの精神的継承者は、カールラガーフェルドではなく、川久保玲ではないでしょうか。

    それではまた

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