昨日はバイトの面接、今日はオリエンテーション後にすぐにバイトした。icon_eek 外食系チェーン店の派遣なので、勤務地はあちこち。いきなりメニューを覚えたりで大変。名札には『研修中』とある、どこへ行っても研修生だなぁ。まじめに仕事に就いたけど、動機はパリでヴィヴィアンの洋服購入、不真面目極まりない?icon_rolleyes

さて、パリに着いた頃の話。まず語学学校へ通った。さすがに斡旋業者に依頼。午前中毎日(基礎)と午後一部(2日くらい会話)の授業。日頃からフランス語を使うためと知り合いが居ないため、ホームステイをした。こっちでホームステイは、家庭になじむと言うよりは、その家が生計を立てるためのビジネスっぽいところがあるかな?

だから空港到着後、語学学校の人が迎えに来てその家に送ってくれた。でも一緒に居たもう一人の女の子と取り違えられて、途中で気が付く事態となった。暮らしはマダムと猫1匹と始まる。

そんな始まりの中、取り違えられたその子とも仲良くなった。私はNOVAでフランス語をかじっていたせいか、マダムとの会話では初めからフランス語が使えた。要求を言う言い回し位はNOVAでも初級で習う。でも語学学校の試験は、初級の初級クラス。またアルファべからやり直す始末で、正直凹んだ。frown でもそのクラスの先生はとてもよくて、今になってみると基礎からやり直して本当に良かったと思う。結局、語学学校が終わる6ヶ月はその先生に一貫して教わった。

パリに着いて2日目、午後の授業が無かったから、空港でであった同じクラスの子と数人で、パリのコンコルド広場や日本人街とも言われる?オペラ座周辺に連れて行ってもらった。コンコルドの広場前にある古いヨーロッパらしい建物、高く澄んだ4月の青空、そこになびくフランスの国旗。そこを歩いただけですでに自分がフランスを満喫した気分になったのを今でも覚えている。

この頃、とあるガイドブック((かなり有名?)とその斡旋業者(同じところ)が出しているパリ語学学校が少なかったせいか、本には日本人少数とあったが、現実は初級クラスの半数?~3分の1以上は日本人にまでなっていた。不満はあったけど、日本人の知り合いが出来るきっかけとなった。

でも服装の学校に行ってからは、あえて疎遠にした。外国(特にパリかな?)における日本人との関係って、実は難しい。仲良くしたいし、話せば精神的に楽になるけど、それだと結局日本に居るのと変わらなくなって、パリの生活に適応できなくなりそうだったから。あとで話すけど、私は本当にパリジェンヌ、あるいはフランス人の学生として学びたかった。だから疎遠にならざる得なかった。それでも、同士なら続くもので、今でもこの語学学校で知り合った何人かは在住場所を問わず、メールを交わしたり会ったりしている。wink

そんな感じで始まった、パリの生活を少しずつ書いていこうと思う。まぁバイトもボチボチだし。それでは!

Posted on: 2005年8月3日
Categories: ファッション

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