留学を決めたときのこと、そろそろ話そうかなぁとは思っていたものの、いざ書くとなると気分が少し落ち込む。frownというのもこの当時付き合っていた人のことも少なからず書かなくちゃいけない。その人と別れたのはつい2ヶ月ほど前で、実はまだ失恋からは全然立ち直っていないんだなぁ。

しかも今日で日本に来て3日目、遊びも一段落してバイト探し。実際は今日一日が長く感じた。そして、その元彼と同じ日本と居るんだと思うだけで、パリに逃げたくなったのが今の自分。本当は日記を読んでいる人達が思っているような人間ではないんだなぁ、私。だからできれば元彼ネタは、あまり触れないように、まぁ色々あったんだなぁと想像はして欲しい。

でも、気を取り直して書いてみよう。

私が留学を思い描いていたのは文化の夜学(3年制)に通っていた2年生くらい。当時は、夜学を終えたらそのまま文化の昼間のデザイン科に行って、その後1年間留学、主にスタージュを目的としてパリに行こうと思っていた。だから3年生のときNOVAに通いフランス語を習い始めた。

デザインをしたいと漠然と思っていたけど、どうやったらあんなに沢山の商品を、トータルで提案できるのか、さっぱりわからなかった。だから夜学だけでは、デザイナーとして転職できないと思っていた。ましてや年齢はある程度いっているのにアパレルの経験も無い。だから、学生だけど仕事として経験のできる道を探した。留学して研修・スタージュをすること、これは学生でありながら、少なからずアパレルの経験になると思った。

ところが、昼間は仕事、夜は週3日の夜学にプラスして単発で立体裁断やデザイン画などの講義も取っていたので、フランス語は週一回通うのがやっとだった。朝のNHKラジオ講座を聞くために、職場に行く地下鉄を乗るのをやめてその時間、30分歩いて通ったりもした。

それでも、資金稼ぎもフランス語も夜学3年生と昼間の1年間分、合計2年間は準備期間だと、余裕があると思っていた。

転機が起きたのは夜学3年の秋。icon_eek文化の新設学科が出来るということ。その学科は海外のデザイン学校のようなカリキュラム、海外留学や研修支援もあるという2年間の大学院レベルに相当するプログラムを提案した。

本来なら専門学校卒業だけでは入れないが、幸い私はすでに大学を出ていた。入学資格は大卒・洋裁を3年以上学んだ者。だから留学は、この学科でチャンスがあると思って受験した。が、不合格。icon_cry夜学から私のように受験したのはもう一人居たけど、その人もダメ。夜学では太刀打ちできなかった。

それからドタバタして、結局昼間のデザイン科に願書を出し忘れてしまった。eek新設学科の試験とこの願書提出の間、私のフランス留学に対する希望が膨らんでしまったせいもある。でも一方で、当時付き合い始めた彼氏とも離れたくなかったし、色々自信もなかった。

さらに留学資金も語学も追いついていなかった。1年行くか2年行くか‥。だから結局、彼氏や親と相談し、両親が長年貯めていてくれた結婚資金を崩すことを決意した。親はすでに私の貯金になっていたそのお金を、私の好きに使えばいいといってくれたし、彼も結婚資金は心配せず行きたかったら行ってくればいいと後押しした(彼は薦めていないと後で否定したけど)。

その資金で、文化夜学卒業後、パリの語学学校に通いそこでモードの学校探しをしようと決心した。モードの学校も予め日本で知られている学校は願書を取り寄せてはいた。けど応募はパリからしようと思った。他にも可能性があると思ったから。

それに、今だから言うけど、私は留学するまでパリに行ったことは無かった、もちろん知り合いも居ない。(ヨーロッパは他に行ったことがあったけど)だから行ってから様子を見ないと何ともできないなぁとも思っていた。

こうやって書いてみると、実に無謀で、しかも簡単に決めたように思うかもしれない。でも、年齢やコンプレックス、恋愛や結婚をいっぺんに考えた上、海外にホームステイした経験があるせいか、外国で自分の気持ちが伝えられない苦しさも知っていて、たった1ヶ月の海外生活も辛かったのに2年もする自信が無く、当時円形脱毛症になった。自分では気が付かなかったけど(美容師さんに指摘された)‥。後にも先にも髪が抜けたのはこの時だけ。相当なストレスだったらしい。

とりあえず、出発前は本当に急に決めてこんな感じだったのを覚えている。新設学科の不合格(たしか2002年11月)から3ヶ月間で海外の手続きをし、2003年4月にはパリに到着という具合。悩む時間が無かったのは、逆に飛び出せた最大の理由かもしれない。

まぁその後の話は‥また明日?

Posted on: 2005年8月1日
Categories: ファッション
One Response to パリ留学を決めるまで
  1. いえいえ、私に比べたら、準備も気構えも,十分です。
    私がアメリカへ行ったときは、もっとめちゃくちゃでしたよ。
    駅前留学も無いくらい昔のことですが。
    人生の一大転機ですね。

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