服装に対する社会評価の薄い日本

このブログを読んでいる方なら大抵ご存知でしょうが、王様の仕立て屋というマンガがあります。

スーツの薀蓄を勉強できると愛読している方が多いようです。
私もしばらくは読んでいたのですが、巻数で言えば10巻くらいでしょうか、それから読むのをやめてしまいました。
マンガも大好きな私が。

内容は決まりきったパターンで、

「ある社会的な悩みを抱えた依頼人に対し、それを解決するスーツ(コーディネート)を仕立てる」

毎回これです。


単にそういうパターンであれば、他にもそういうマンガはたくさんあって、私が愛読しているのでは
Bartender

と同原作者の
ソムリエール

があります。

この城アラキという原作者は、その昔にも
ソムリエ

の原作を書いていたり、お酒に強いようです。

さて、この城アラキのストーリーも王様の仕立て屋のごとく
「薀蓄(エピソード)と共にお酒を提供することで、或る客の悩みを解決する」
というものです。

ところが、この2つのストーリーには絶対的な隔たりがあって、その差が私の興味を大きく分けました。

城アラキの作品は、お酒にまつわるエピソードが「ある個人の内面的な悩みに重ねあわされることで解決に向かう」わけで、これは悩みを抱えた当人だけに対しての問題です。
我々読者が抱える問題とは関係なく、その客の心を推察することが、読者に求められるのです。

翻って、王様の仕立て屋というマンガは、その解決は個人に対してでなく、周りに対してのものになっています。
その服を着た客を見て、周りが「おぉ!あの格好は!!」と高度な理解を示し、その客の評価が上がり悩みは解決というもの。

私には、この日本に住んでいる限り、その状況はどうしても感覚的な理解ができないのです。

だって、服装でそれだけ評価される環境が、この日本には無いのですから。

責任ある立場の人間ですら、スーツに白い靴下を履き、オックスフォードシューズを履かず、ましてや靴べらも使わず、スーツを仕立てたことの無い人が溢れるこの国で!!
この王様の仕立て屋の解決法は、まるで冗談としか思えない!!

それゆえ私は読むのをやめてしまったのです。

ある実話です。
仲の良い他社の先輩は、細身のスーツを着て新人研修に参加していました。
研修態度が悪かったのもあって、研修部の人からは目をつけられていたこともあったのでしょう。
あるとき服装を指摘されました。

「おい、お前のその細いスーツはなんなんだ?」

2001年、つまり8年前の細いスーツっていうことですから、ディオールオム以降ほどのスキニーなスーツが出る前です。
細いといってもたかが知れている細さでしょう。

先輩は毅然と(!)答えました。

「体に合ったスーツ着て何がおかしいんですか?
それじゃ、あなたのそのデブなスーツはなんなんですか?

研修部の人は何も言えなくなったそうです。

その先輩は現場に出てから、ずっとトップセールスです。

洋服に対して、欧米に比べれば皆無と言えるほど社会評価の薄い日本です。


Comments

コメントを残す