モードとストリートの力関係の逆転が起こっている。
今さらこんな大昔の話をしても仕方が無いのだが、やはりモードの文脈を理解してもらう上で、必要なことを書いておく。
従来ファッションの流れはモードから始まるものであった。
ファッションを楽しむという行為は権力者、富裕者のものであり、そこから庶民に流れていく。
そしてそれは当初オートクチュールというかたちであった。
それが大きく変化していったのはプレタポルテが出てきてからだ。
オーダーメイドの服から既製服へ。
手工業少量生産から機械工業大量生産へ。
大幅なコストダウン。
そしてモードはハレの服から日常の服へ。
(かつての手仕事重視の服は、機械工業大量生産へのカウンターとしての意味と価値を持ち、細々と生き残っている)
モード:デザイナーにより生み出された最新の格好
ファッション:庶民に普及した格好
ストリートファッション:庶民のムードから生まれた、モードを経由しない格好
と私は考えているが、現在は、ストリートファッションがデザイナーによってモードに再構築されるという、かつてと逆の経路を見せている。
最も最初にストリート→モードのファッションを提案したのは、ヴィヴィアンウエストウッドだと言われている。
パンクファッション自体が体制(≒モード)に対する強烈なカウンターファッションである。
それ以降その流れを引くデザイナーが多く出現。
そして現在、市井の人々が着るモードの主流は、そのようなストリートモードになった。
日本においての話になるが、ほんの10年前にモードブームがあった。
マサキマツシマ、ヘルムートラング、ジャンコロナ、アントワープ6等が気を吐いて、若者のメインファッションとして、ストリートを経由しない、いわば正統派モードファッションが組み込まれていた。
良くも悪くも、日本の若者のファッションを決めるのはファッション誌である。
それら雑誌をみればわかるように、いつのまにかモードとして紹介される服はストリートモードが主流となり、正統派のモードは息を潜めてしまった。
あれからおよそ10年、モードの復興は起きていない。
要するに現在の若者は、正統派モードを通過せずに育っているということになる。
ストリートとモードを経験してきたデザイナーがストリートモードを生み出した。
そしてストリートとストリートモードで育ってきた今の若者達がデザイナーを目指し、そこからどういう形が生まれていくのか?
私はますますストリート化を強めて行くのではないかと思っている。
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