最近ものぐさになり、手入れの楽な服を好んで買うようになった。
学生の頃はピシっとしたアイロンをかけて着る美しいシルエットを持つ服が好きだったが、今ではカットソーや洗いざらしで着られる布帛シャツを着る。
服は気を張って着るものという考えから、気楽に着るものという考えに移ってきたようだ。
そうなってから興味を持ったのがtsumori chisato、ZUCCaなどの製品洗いを施したブランドだ。
学生時代は興味も持たなかったのに、好みは変わるもので、自分でも驚いている。
ところでこれらのブランドは、服の持つシルエットの美しさを売りにしておらず、比較的緩めだ。
例えばDior HommeやHelmut Lang、atoのシルエットというのは服の持つ形を重視し、着る人の体型を強要する。
ひるがえってCdG Homme、Yohji Yamamoto Homme、ISSEI MIYAKE MENの服というのは洗いざらしで着られる服であり、体と服の間に余裕のあるパターンで、着て出来たシルエットが正解というような趣きだ。
また前者は購入時が完成形とも言え、着用を重ねるにつれて、原型を失ってゆくのに対して、後者は着用によって風合いや形が変化して行く事が正しいように思える。
新鮮さと熟成
まるで人生のようではないか。
若さを売りにする時期と、円熟味を売りにする時期、どちらもいいものだと思う。
逆に若さを売れる時期に、下手に老成したような格好をするのも、もったいないなとは思うのだ。
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