ファストファッション(FF)と名付けられた(というより格付けされた)ファッションブランド(というよりメーカー)が世間を賑わせてからしばらく経つ。
今ではメンノンなどのカジュアルファッション誌には欠かせないものとなった。
かつては安く上がるお洒落というのは、時折ある一つの特別企画であったものが、それがメインストリームになった。
見栄を誇示するブランドというものが、ありふれて、かつて程の威光を持たなくなったのだから、そういう風になっても仕方ない。
高いものがいいものという時代はとうに終わった。
今のトレンドは「安くてお洒落」であるように思っている。
そもそも日本のファッション誌は、洋装文化の素養が無い日本人のための”お洒落教科書”だと考えるのが正しい。
それならば、どんなステータスのブランド服を扱ってもいいわけだし、不況を感じる今ならば、買えない高級服よりも買える大衆服を扱う方が、読者にとってリアルである。
生徒、学生が読む雑誌に、いわゆるハイブランドが載りまくっているのは”ステータス的に”おかしい。
そういう意味では、今のヤングファッション誌のあり方は、身の丈にあった相応しい雑誌になってきたと思う。
そうして、お洒落をすることは高いお金をかけることであったことから下り、若い子にも手の届くものとなったことは、素直に嬉しく思う。
しかし!!
もし自分がこの時代に思春期であったなら、きっとこれほどファッションに興味は持たなかったかもしれないと思う。
このブログを読んでいる人ならば、このブログがいわゆるお洒落でなく、ファッション学として書かれていることは当然ご理解されていることだろう。
かつて書いたことがあるが、私がファッションに興味を持ったのは、ブランドの商品・作品に込められた思想や技術といった、深層に触れたからであった。
FFにそれが無いとまでは言わない。
(FFに含めていいかわからないが、ユニクロの商品に使われている技術は、本当に驚くほどハイレベルのものだ。しかしユニクロは確実に特別だ)
けれど、デザイナーズブランドに比して、格段に薄っぺらい。
そういうFF商品から入っていたら、ファッション学を考えるところまで到達できていただろうか?と疑問に思う。
その商品に奥深い思想と、学んでいきたい技術・高品質を感じたからこそ、私は品質を見分ける目を身につけ、デザインを価値を理解したのだ。
プリントされた美術作品でなく、原画を見ること。
録音された演奏でなく、生演奏を聴くこと。
モードが煌いていた15年前のあの時代に、そういう理解感覚で、”ファッションの確かさ”に打ちのめされたのだ。
H&MやTOP SHOPの商品を見るたびに「このボロは…」と嫌悪感を感じる。
経験上、果たしてユニクロや無印程の耐久性が必要か?とは疑問に思いはするが、生地や縫製から放たれる品質感は、デザインと同等に服装判断に影響する。
そういう経験をして、質を判断する目を持った今だからこそ、そうでない人よりファストファッションをより有効に活用できるだろうと思っている。
今の若い子は、羨ましくもあり、可哀想でもある。
それは、ただの老いぼれの諦観かもしれない。
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中華そばとみ田のつけ麺。
3食で2520円
かなり売り切れが目立ちますが、それもそのはず。
むちゃくちゃ旨いです。
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