新井淳一の言葉~作家の仕事場より~

作家の仕事場
作家の仕事場―25人のデザイン・ジャイアント
引き続き、新井淳一の言葉を取り上げる。
彼について知らない人はこれこれを記事を予備知識として持っていて欲しい。


「テキスタイルというポジションはメディアの関心も薄く、不当に感じられませんか?」
新井「繊維産業が日本の近代化に果たした意味はとてつもなく大きいし、唯一、繊維産業で立ち上がった国であるにもかかわらず、優れた業績を残した人たちが一人もデザイン史に登場していないんです。1970年代にファッションデザイナーが表舞台に登場してきたときも『繊維に関わる者デザイナーにあらず』という感じでしたね」

テキスタイルデザインを少しでもかじる人にとって、新井淳一の名前は神にも等しい。
しかしこの日本では、新井自身が語るように繊維に関わる者の名前は、表に出てこない。
出てくるのはファッションデザイナーばかり。
デザイナーでありながら、これだけ不遇な立場も無いだろう。

「新井淳一の国内でのイメージは地味であっても、海外での評価は著しく高い。その乖離、分裂についてはどうお考えですか」
新井「(海外の人が)日本のデザイナーの服地を見て『こんなものがあるのか!』という、そこからの評価だったんでしょうね。テキスタイルから海外に出て行ったわけじゃない。三宅一生さんはインタビューを受けるたびに僕の名前を口にしてくれていたんです。激しいもの(生地)を一番最初に使ってくれたのは川久保玲さんかもしれない。一生さんの場合は『今度は溶岩のような』『雲のような』といつも何か面白い要望を出してきました」

イッセイミヤケ、コムデギャルソンともに素材開発からやっているという話は有名だ。そういったいわば裏クリエーションに新井淳一は潜んでいる。

「海外のほとんどの国とは全く逆で、アパレル業界は川下に行くほど力を持つ構造のようですね。上代(製品販売)価格の10%前後が服の素材原価という業界慣習についてはどうお考えですか」
新井「とんでもない話です。『布に従って服を裁て』という言葉の通り、初めに素材が無ければテキスタイルの面白いものもできるわけがないんです。産地にいて思うのは、アパレルのたかだか40年50年の歴史とは比べものにならないということです。メディアや教育機関を使って『若手デザイナーよ、出でよ!』といくらやっても太刀打ちできないですよ」

いや、もっとも。織物ン百年の歴史に比べたら洋服デザインなんて赤子のようなもの。そんな浅い歴史の中から、西洋モードを牽引するようなデザイナーが出たこと自体、奇跡的なことなのかもしれない。

新井「金属繊維をちゃんとしていきたいです。ステンレス長繊維から当然はじまるけど、チタンにも将来性があります。ステンレスは退色ということがないし、伸びない強さも吸水性もある」
「織物の固定観念を覆した化学繊維が、自然素材の総生産量を追い抜いて、まだ10年と考えるべきか、もう10年なのか?」
新井「金属繊維の未来は未知数です。先日もテナーサックス奏者の塚越ゆかりの演奏会のために選んだ服がステンレス製で、縫うことなしに溶接だけで作った金属繊維の服でした」

未知の世界である。
金属繊維に吸水性がある!? 溶接で服を作る!?
まだ市場に出回っていないのだから、我々に想像できなくて当然だが、そういう未来があるのだろうか。

新井淳一72歳。創作意欲衰えず、ますます盛ん。
これから世の中を驚かして欲しい。

またGWにお会いできる機会があるというので、とても楽しみだ。

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