永遠なのか本当か

最近、デザインしてある服というのは、大抵服の寿命が来る前に、飽きて着なくなってしまうものだと気付いた。

となると、そういう服にはそれほど厳密な丈夫さを求めないでもいいのだろう。

昔は、いつまでも着られる(であろう)ものを選ぶという、ポリシーの一貫性を保ちたいという意思と、貧乏性の入り混じったような買い方をしていた。
しかし「今の気分の間だけ楽しめる服でもいいや」という、一過性のファッションも肯定できる気分になってきたのだ。

なるほど、服の趣味というのは変わるのだな、と実感している。

さて、永遠性のあるデザインをし、服の到達点といわれるCdGや、ヨウジやマルジェラに落ち着いてしまった人というのは、そのあとに行くところはあるのだろうか?


Comments

“永遠なのか本当か” への1件のコメント

  1. 私はぷりまさんの掲示板でも時々書いてますがギャルソンが好きです。なにかと縛りの多い男の服を自由にしてくれるブランドだからです。自由でいたいという気持ちの表れかな。自身で服が作れないので、すでにあるものから自分が欲しいものを探すとギャルソンに辿り着いてしまいます。

    さて、デザインされた服ですが、気に入って買った服は買ったシーズンが嬉しいのはあたりまえですが、後でまた好きになれるということもあります。惚れ直すという感じでしょうかね。逆に長く着ようと思って無難な服を買ってしまって、物足りなくて飽きてしまうこともあります。私のようなものには難しいところです。

    今でもギャルソンは楽しませてくれるので、まだしばらくは続きそうです。今の私にとっては、ギャルソンにとってかわるブランドがないのです。この後に行くところは無いというのが現時点の答えです。しかし、これは現時点での答えであって将来はわかりません。自由な気分にさせてくれるのがギャルソンだけとは限らないからです。ふとしたきっかけでギャルソンが好きになりました。もしかしたら、いつか別の素敵な出会いがあるかもしれません。出会いというのは大切ですよね。そのときはどうなるか。素敵な出会いがあれば、それはそれでいいような気がします。ひとつのブランドと心中するわけではありませんから。ただ、今はギャルソンなんです。

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